「カードオタク」の回顧録、あるいは持つものと持たざるものについて

持つものと持たざるもの

人間は二種類にわけられる。金持ちと貧乏人、モテと非モテ勝者と敗者、持つものと持たざるものだ。

多くの人間にとって個人の趣味以上のものではないもの、例えばゲームやカードゲームの世界においてもそれが勝負事である以上は「勝者と敗者」、あるいは「持つものと持たざるもの」に別れることになる。

今となっては随分と昔の話になってしまうが、中学2年生の冬まで僕はとあるカードゲームをやっていた。元々は学校の友人に半ば強引に誘われ、ゲームを始めるために必要なデッキというカードセットを丸々貰って始めた暇つぶしに過ぎなかったが、単純なルールの割に意外と長く遊べるそのゲーム性に魅入られてすっかりそのゲームに嵌まってしまっていたのだ。

中学で部活に入ってはいたものの、幽霊部員だった僕は、週末が来るたびに徒歩と電車で30分ほどかけて近場のカードショップに足を運ぶようになった。しかし、はじめの方こそ友人と一緒に行っていたものの、そのうちに同行者が一人、また一人と減っていってしまった。彼らはそれぞれ他の娯楽を見つけてカードゲームに飽きたのだ。だがそれでも僕はカードショップ通いをやめなかった。今にして思えば、学校の外でゲームに傾倒することで教室では決して本流にはなれない自分自身を肯定していたのかもしれない。 

それにカードゲームのプレイを重ねて強くなっていくことは、僕にとって気分の良いことだった。あらゆるカードゲームの勝敗の決定要因は多分に運の要素を含むものではあるが、結局は勝利するための法則を知っているかどうかという問題でもある。勝敗を左右する局面においてどう対処すれば良くて、そのために必要なカードはなにで、デッキにはそれを何枚入れていればいいということが分かれば分かるほど勝率をあげることができる。

やがて僕はそのカードショップで開かれていた大会にでることにした。初対面の人間と挨拶もそこそこにゲームをすることは僕にとって緊張を伴うことではあったが、誰とどこでやろうがそこでやることに変わりが生じるわけではない教室で解く定期テストの数式と模試の会場で解くそれとでやることが変わらないのと同じように、僕がしたことは盤面に応じて知っている法則を当てはめていくことだけだった。 

結果として僕は初めて参加したその大会で優勝した。その時に渡された優勝賞品のプレミアムカードはおそらく今も実家のどこかにあるはずだ。当時の僕にとって狭いカードショップの小さな大会で優勝することができたことは、親に無理矢理通わされていた水泳や極真空手で昇級した時よりも、定期テストの校内順位が上がった時よりも、遥かに大きく、そして価値のある体験であるように感じられたのだ。

これに味をしめた僕は、そのカードショップよりも自宅から少し遠いデパートの大会にも参加するようになった。某少年誌に掲載されていた大会情報を隈なくチェックし、予定が合う限り参加した。 

それからの勝率は勝ったり負けたりしていて五分五分といったところだ参加している回数が多いので優勝賞品のプレミアムカードの枚数は少しずつ増えていったが、見た目から推測した年齢から自分よりも遥かに格下だと思った少年に引きの運で負けた時はそれなりに堪えるものがあった。

そうした悔しさから僕は、「これからはパソコンぐらい使えないとしょうがないから」と祖父に買って貰って以来、殆ど使わずに埃を被っていた富士通製のデスクトップパソコンを立ち上げてインターネットに接続し、電子の海に必勝法を求めるようになった。

Aという男

そんな日々が中一の夏まで続いたある日、僕はとあるサイトを見つけた。そのサイトは僕がやっていたカードゲームのデッキレシピを掲載しており、運営者のA(仮名)という男は「日本一の実力者」を自称していた。最初は詐称を疑ったが、そのサイトのリンクからとべるブログに書かれていたいくつかの対戦レポートを見た僕は、ここが本物のトップランカーによって運営されているサイトであることを確信した。

また、ブログには日常生活の事も書かれており、その情報から今度Aが参加しようとしている小さな大会が開かれるカードショップの所在地が自宅からそれほど遠くない場所であると知った僕は、勇気を出してサイトのプロフィールに書かれていたメールアドレスあてに連絡を入れた。『はじめまして! いつも楽しく拝見させていただいているものです! 今度僕も同じ大会に参加する予定なのでよかったらお手合わせお願いします!』

 

大会当日、人混みの中から僕はすぐにAを見つけることができた。予め返信メールで知らされていたAの服装が真夏であるにもかかわらず黒の長袖シャツという特徴的なものでその場で目立っていたからということもあるが、何よりもテーブルでゲームをプレイ中のAの周りにはたくさんの人が集まっていたからだ。ゲームがひと段落ついた頃、僕は隙をみてAに話かけた。

「あ、ど、どうも……メールでご挨拶したものです」

恐々と話かける僕をみたAは一瞬訝るような顔をしたが、すぐに思いだしたのか短く「ああ」と呟き、

大会が始まるまでは『身内』とゲームしたいからまた後でね」

と言った。だが結局、僕はその日、大会が終わった後もAとゲームをすることはできなかった。彼の周りには常に人がおり、新参者の僕が近寄れる状況にはならなかったのだ。ちなみに大会はAの優勝に終わった。

それからも僕はAとゲームをすることを諦めなかった。このゲームで強くなりたいのなら既に強い者とゲームをすることが最も有効な方法だと思ったからだ。大会が開催されるたびにAの行きつけのカードショップを訪れ、四度目か五度目でようやく僕はAとゲームをすることができた。

 

「筋は悪くないと思うんだけどね」

僕とのゲームを終えてそう苦笑するAの実力に僕は正直驚いていた。それまでこのゲームの腕にそこそこの自信を持っていた僕が、Aを相手にすると殆ど勝つことができなかったのだ。その結果は僕に「引きの運」などという言い訳に逃げることを許さず、歴然とした実力の差を見せつけるものだった。 

Aはカードゲームの才能を「持つ者」なのだと僕は思った。水泳教室に、道場に、塾に、学校に、それぞれの才能を持っている子供達が居たように、Aはカードゲームの才能を持っていて、僕にはそれが無いのだ……。

 

ゲーム後、Aと雑談をして彼の人となりを知ることができた。彼は当時中学生の僕よりも2つか3つ歳上の高校生で、本人曰く学校にはあまり行っていないらしかった。これはあとで彼の友人からきいたことだが、Aの不登校少なからず同級生からの「いじめ」が原因になっていたと記憶している。彼はその「いじめ」のせいで長らく自宅に引きこもる日々をおくっていたらしいが、もともとは気さくな性格だったということもあって自分が活躍できるカードゲームのコミュニティでは厚い人望を得ているように僕にはみえた。

やがて僕はAを通じて彼が所属するコミュニティに入れて貰えることになり、一緒にゲームをする強い仲間を得たことで、カードゲームへかける熱量がますます大きくなっていった。冬休みや夏休みには全国各地の地方都市で行われる公式戦に出来るだけ多く参加するために、東京から大阪まで向かおうとして青春18切符という割安の乗車券を手に入れたこともあるが、結局、この計画は親にばれて頓挫してしまった。

そんな日々を送る中、受験生の学年に上がる前のクリスマス直前に行われた大会で僕にとって大きな転機となる出来事が起こった。

 勝負の深層、勝利の真相

「それってどういうことですか?」

老若男女、子供づれの夫婦から余生を謳歌する老人まで幅広い層の顧客を獲得することに成功している某ファミリーレストランの一角で僕はゲーム仲間の一人に詰め寄っていた。

事の発端は、その時点から少し前に遡る。

その日、関東で行われた大きな大会に出場した僕とその仲間は「打ち上げ」と称してそのファミレスで夕食を共にしていた。その日は、顔の広いAや、その周辺の人物の友人が全国各地から集まっており、結構な団体客となったため、必ずしも皆が仲の良い友人知人と同席できたわけではなかった。

「この打ち上げは同時にAの祝勝会を兼ねてるからね、今日は無礼講で行きましょう!」

余所余所しい空気を和ませようとしたのか仲間内の誰かが戯けた調子でそう言った。

今回の大会でもAが優勝したのだ。

僕自身はと言うと、予選を危なげなく通過したは良いものの、本戦であっけなく負けてしまった。悔しかったが、何となく清々しい気持ちになると同時に「大会に出るのも今回が最後かもしれないな」と思っていた。

そんな風に少しばかりの寂寥感を覚えながら集団の後ろの方からそそくさと店に入っていた僕は、グループがとっている卓で空いている席をみつけて、その隣に座っている男の顔を伺った。だが、そこにいる男に見覚えはなかった。ドラッグストアで買える脱色剤で手荒く脱色を施したのであろう長髪で赤と銀の光沢が眩しい「スカジャン」を羽織っているその男は、明らかにその場の雰囲気から浮いていた。その不良じみた外見がなんとなく気になり、僕は他にあいている席はないのだろうかとざっと辺りを窺ったが、どうやらもうここの席しかあいていないようだと悟り、恐らくは歳上であろうその金髪の男、B(仮名)の隣に恐る恐る座ることにした。

 

そのファミリーレストランの席には一卓につき最大で6人まで座ることができた。僕と同じ卓についているB以外の四人は知らない顔ではなかったものの、一緒に雑談に興じるような間柄ではなかった。さらに悪いことに、僕とBを除く四人は前々からのグループであるらしく、僕たち二人に一切構うことなく、会話を楽しんでいた。

僕は四人の楽しそうな声を聞きながら徐々にこの集まりに参加したことを後悔してきていた。これは今も変わらないことだが、当時から僕は他人と仲良くするまでに時間がかかるのだ。

疎外感を感じた僕がBの様子を伺うと、彼も同じ気持ちになっているのか、恐らく大した用事もないだろうに携帯端末を弄って無聊を慰めていた。

それをみて、見た目よりもずっと人見知りな性格であるらしいBに仲間意識を感じた僕は、彼に話しかけてみることにした。

「それにしてもAさんは凄かったですよね、あの決勝の引き。やっぱり持ってる人は違いますよ」

Aは決勝で抜群の引きの強さを発揮し、劣勢であった盤面を一気にひっくり返していた。僕がこの話題を選んだのは雰囲気はまったく自分とは異なるが、カードゲームという共通の趣味を持つBと会話をする上で当たり障りのないものだと思ったからだ。

「はあ?」

だがBの反応は僕の予想だにしないものだった。彼は僕を嘲るように顎を軽くあげ、薄く笑った。

「お前、本当にあいつがああ何度も何度もそう都合よく必要なカードを引いて一発逆転してきたと思うのか?」

その口振りに不穏なものを感じた僕は思わず身を乗り出して、強い口調で詰め寄るようにBに食ってかかってしまったのだ。身を乗り出した時に上げた膝が机の裏に当たって痛かったけれど、そんなことはどうでも良かった。

Bは気を悪くしたのか眉をひそめたが、僕の表情をみて、嗜虐的に笑い、他にはあまり聞こえないように声を落とすと「あいつの引きが強いっていうのは全部イカサマなんだよ。服の袖、ズボンの裾、ジャンパーの裏、ありとあらゆるところに盤面を動かすキーとなるカードを仕込んでいる。あいつはうまいから一度もバレたことはないが、俺は一度直接あいつからきいたことがある。これはマジの話だ」と言った。

「いや……でも公式戦ではスタッフも巡回してるし、そんなことが……」

「できる。俺もやったことあるしな。スタッフの連中の眼は節穴だからバレる方が難しいんじゃないか?」

冷たい汗が背中を伝っていくのを感じた。どこかの卓で、誰かが飲み物を零した音がする。Aかもしれない。

「でも……」

頭の中にある記憶を辿り、なんとかBの証言を否定する何かを探そうとするもそれ以上の言葉を紡ぐことができない。

それどころか逆にあの時も、あの時も、もしかしたらそうだったのかもしれないという思いが心中に去来した。

そんな僕の様子がおかしかったのかBはついに大声で笑いだした。その笑い声で他の四人も流石に僕達の様子がおかしいことに気づき、驚いた顔をしていた。

「何ムキになってんの? こんなゲーム、ただのお遊びだろ? 」

ただのお遊び。その通りだ。同い年の連中は今頃、部活に、勉強に、友情に、恋愛に、汗を流して、頭を悩ませている。土日に大会会場に派遣されている某玩具メーカーやイベント運営会社の社員やアルバイトだってそれほど真剣にイカサマを取り締まっているわけではないだろう。貴重な青春の1ページをこんなことに使う奴らだ。騙すのも騙されるのも仕方がない。間違っていたのは最初から全部僕の方だったのだ。

 持つものと持っているもの

その日以来、僕はカードゲームの大会には行かなくなった。何度かAの友人から連絡があったが「受験勉強が忙しいから」といって断っているうちにやがて遊びに誘われることもなくなった

勿論、Aの活躍に嫉妬したBが嘘をついていた可能性は十分にある。実際のところ、Aは全て実力で勝ち抜いていたのかもしれない。けれど、僕自身、Aの挙動を振り返ってBの証言を完全に否定することはできなかったのだ。結局、僕自身がAの挙動に疑いを持っていたのだろう。真実がどうあれ、僕にとってはそれが全てだ。

人間は二種類にわけられる。金持ちと貧乏人、モテと非モテ勝者と敗者、持つものと持たざるものだ。

だが「持つもの」がその手に「持っているもの」は本物なのだろうか。 

自分が持っているものを実際以上に誇張し、「持たざるもの」を支配し、籠絡し、搾取し、不当に尊敬を集めようとしているのではないか。まるで何かに復讐するように。

カードゲームをすっかりやめて長い年月を経た今に至るまで僕はいくつかの分野で多くの「持つもの」を見てきたが、この一件以来、なにかにつけて自分の力を大きく見せようとしてくる者と相対した時、僕はその人物の服の袖、ズボンの裾、ジャンパーの裏、ありとあらゆるところに盤面を動かす『カード』が仕込まれていないかどうか、疑わずにはいられなくなったのだ。*1

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画像はAが愛好していた「ToHeart2」シリーズに登場する向坂環

*1:この記事は当時の友人知人に特定されたくないために若干の脚色を含んでいます。

その祈る心が折れないように-新海誠監督「天気の子」をみて-

※この記事は「天気の子」のネタバレを含みます。

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セカイ系という言葉が嫌いだ 

セカイ系」という言葉が嫌いだ。
勘違いをして欲しくないのは、ぼくが嫌いなのは現在の作品を批評する際に用いられるセカイ系という言葉自体であって、その言葉でもって一般に想像されている一連の作品群のことではないということだ。
セカイ系」と称される作品、具体例をあげるなら、マンガ、アニメの「最終兵器彼女」、ライトノベルの「イリヤの空、UFOの夏」、美少女ゲームの「Kanon」などの作品は、いずれもぼくが愛好してやまない名作ばかりである。
だが、それでもぼくがこの「セカイ系」という言葉にある種の忌避感を抱かざるを得なくなったのは、「少女と少年の恋愛がセカイの運命に直結し、社会や家族などの中間層は描かれない」あるいは「(一人語りで語られる)自意識の範疇だけが世界であると認識して行動する作品」というその言葉の定義が、実際に「セカイ系」と称されている作品の内実にはそぐわない現状に起因している。
肯定的にしろ、否定的にしろ、ぼくの知るかぎり、所謂「セカイ系」とされる作品群はこの定義でもって語られてきた。
しかし、そもそもこの言葉が使われるようになってから20年近くたった今もこの言葉はこの定義でもって使用されているだろうか。
例えば、批評家たちによって「セカイ系」と評されてきた「君の名は。」では、主人公でもヒロインでもない勅使河原克彦ことてっしーというキャラクターのサブプロットを通してしっかりと中間集団の姿が描かれている。元々、克彦は土建屋の息子として将来、この町で歩むべきレールが敷かれていることに複雑な思いを抱いていた。そんな彼は、自分たちが暮らす町に大きな災害が到来するという未来をヒロインの三葉と「入れ替わった」瀧からきいて知り、三葉(中身は瀧)たちと共に糸守町に住む人々の「避難計画」を実行することになる。その計画とは「変電所」を爆破させて非常電源に切り替わった放送室から回線をジャックし、人々に避難を促す放送を流すというものだった。毎日過不足なく安定して町中に電力を供給する変電所は、町の秩序をメタフォリカルに示すものである。その象徴を破壊することをもって町を救う、つまり、秩序を壊すことをもって町を救おうとした克彦の戸惑いと爽快感が入り交じった表情は、あまり注目されることがないものの、この作品において「大人」と「子供」の間に横たわる複雑な境界線を明確に体現していたと言える。寡聞にしてぼくはこの克彦を中心に分析したレビューの存在をしらないが、新海誠監督が「君の名は。」で書きたかったものは「きみとぼく」の恋愛であるのと同時に、「ぼくとわたし」、つまり、子供と大人、社会、家族の対立とその克服ないし止揚だったのかもしれない。
しかし、この作品を「中間集団が描かれない」という意味での「セカイ系」と評した場合はその定義上、この作品の特性が無視されることになる。
いやおそらく「無視」というのは適切ではなく、こういった方が正確なのだろう。
派生形の作品が矢継ぎ早に登場したことで当初の定義を当てはめることがもはや不可能になった「セカイ系」という言葉は「死んでいる」、もはや使用に耐えうるものではないと。*1
ぼくがこの言葉を嫌うようになった理由は、所謂「ゼロ年代」批評ブームで大変便利なフレームワークとして機能していたこの言葉が、もはや「死んでいる」にも関わらず、自らが死んでいることに気づかない「亡霊」としてのみ存在し、創作者や受容者を含めたあらゆる人々をある年代へと縛りつける呪いとしても機能してしまっているからだ。
実をいうと、この記事は、この呪いに抵抗するために書かれたものなのである。

セカイ系とは何だったのかとは何だったのか

七月の最終週、大荒れの天気になることが予報されていたはずのこの日、顎下を伝う汗を拭いながらぼくは新海誠監督の最新作「天気の子」を観にいった。
今となっては誰もが、本当に誰もが知る人となった新海誠知名度を、決定的にあげたのが前述の「君の名は。」であることに異論はないだろう。それ以前の作品からのファンが観に行ったのは勿論として、プロデューサー川村元気の手腕と人気バンド、RADWIMPSの集客力をもってして「大ヒット映画」をつくることを目的につくられたこの作品は、それまで新海誠のことなど露ほども気にかけていなかった若者たちを新たなターゲットとして捉えることに成功した。
女子高生を始めとした流行に敏い若者は、原価数百円のタピオカを飲もうと行列に並ぶのとおそらく全く同じ感覚で製作費数億円の映画を観に映画館に赴いたことだろう。

そうした人々にはあまり知られておらず、そして新海誠をそれ以前から知っている人々にとっては既知のことだが、彼は元々、美少女ゲームの製作に携わっていた人間だ。そして美少女ゲームは、それ自体がまだ今よりも商業的な意味で勢いをもっていた2000年代に、所謂オタク批評、サブカル批評の対象として盛んに俎上に上げられて、その物語的な構造から作品にこめた作者の思想までもを徹底的に解剖されてきた。その中で作品を理解するためのキーワードとして頻繁に使われていた言葉こそが「セカイ系」だ。元々は一人のネットユーザーが使用していたにすぎないこの言葉がゼロ年代オタク批評のツールとして一般的に使われ始めた一連の流れについては前島賢の「セカイ系とはなにか」辺りが詳しかったと思う。

 

2010年に刊行された同書籍ではその時点ですでにセカイ系という言葉の定義があまりにも拡散してしまっていることが述べられている。今やそれからもう10年近くもたったのだ。定義は曖昧なまま、さらに拡張している。そのため、これからでてくる新しい作品をレビューないし批評する際には、ぼくはあまりこの言葉を使わないようにしている。なぜなら定義が曖昧でありながらも一応は存在する共通理解に基づいて「あの作品はセカイ系らしい/らしくない」と断ずることは、本来、作品が持つ個々の性質を見えにくくしてしまい、雑な物言いを許容するものであるからだ。さらに言えば、誰もがはっきりと「セカイ系とはこういう作品だ」とは断言できない、もしくは断言しても説得力にかけるこの言葉を使い続けてきたうえでゼロ年代の終わりに「セカイ系とはなんだったのか」といわばマッチポンプ的に自ら振り返ってきた批評界隈には、むしろその問いかけの意図を逆に問い直されることが必要な筈だ。すなわち、『「セカイ系とはなんだったのか」とはなんだったか』、と。

美少女ゲーム界隈に出自の一部を持ち、「ほしのこえ」という「典型的」な作品でアニメ映画界に乗り込んでいった新海誠もまた、幸か不幸かセカイ系という言葉をつかって分析されてきた作家の一人だ。そんな彼の最新作である「天気の子」もまたSNSでの評判を見る限り、セカイ系の作品として考えられているようだ。そしてこの作品がその文脈で解釈されることは明らかに彼自身も意識していたことだろう。

天気の子のプロモーション映像ではくどいほどに「セカイ」という言葉が繰り返される。この作品が「セカイ系」であるにしろ、そうでないにしろ、新海誠監督自身がこうした文脈を意識していた、あるいは意識せざるを得なかったのは間違いない。*2

だが、そもそも「天気の子」とはどのような作品だったのか。 

「純粋な形での生の肯定」の不/可能性

おそらくこの作品で描かれた「天気」についてはもう散々よそで語られているだろうから、ここで敢えてぼくが似たような言葉を繰り返しても意味がない。その上で視点をずらせば、まだ多くは語られてはいないであろう「天気の子」のテーマが見えてくる。そのテーマとは「純粋な形での生の肯定」だ。

離島の暮らしの「何か」に嫌気がさして東京へとでてきた少年、帆高と、親を亡くして以来、弟との生活を維持するために年齢を偽ってまでアルバイトにあけくれる少女、陽菜に東京の社会は、いやより直接的に言えば、大人の社会は、徹底的に冷たい。家出をしているために学生証を提示してアルバイトをすることすらできない帆高は、最低限の衣食住を得ることすらままならず、ネットカフェ難民としてあてのない日々を過ごしているし、陽菜は年齢を偽って働いていたファーストフード店の仕事を首になり、あわや性風俗の業界に片足をつっこみかける。だが彼ら彼女たちがそうした境遇にあうのは当然だ。カタカナではなく漢字を使って表されるこの「世界」は生憎、子供用にはできていない。それが明文化されているにしろ、そうでないにしろ、世界は大人社会が定めたルールに乗っ取って回っており、そのルールを知らず、またその中で生きる方法を知らない子供が、背伸びして大人の社会に首を突っ込めば、拒絶されたり、子供を利用しようともくろむ汚い大人と遭遇してしまったりするのは仕方のないことだ。

しかし、少年達には望みが残されていた。それは、祈ることで天候を変化させることができる陽菜の特殊な能力だ。彼らはその彼女の性質をつかった小規模な商売をはじめ、何らかの理由でもって「晴れ」にして欲しいと願う人々の願いを叶えることで、小銭を稼いで生活費の足しにしていった。無論、そこで得たのは生活費ばかりではない。陽菜はそのような労働に日々いそしむことで間違いなく「やりがい」を得ていったのだ。「私ね、自分の役割みたいなものが、やっと分かった」と微笑む陽菜の笑顔に嘘はない。

しかし、あの人気アニメ、「魔法少女まどか☆マギカ」を知っている人、つまりぼくたちは、すでにこの手の奇跡には代償が伴うことを知っている。勿論、「天気の子」の陽菜の力にも相応の代償があった。それは力を使えば使うほど陽菜の存在が消失していくというものである。帆高は、陽菜とその弟、凪と共に三人で訳あって一時的に潜伏したホテルの一室で消えかかっている陽菜の身体をみる。そして陽菜の能力がやがて彼女自身を人柱として消失させてしまうことを知る。

このとき、世界は例年類を見ない異常気象に襲われていた。東京の街は、夏だというのに雪が降り、やがてその雪はとめどない豪雨へと変わる。このような異常気象を乗り越えるために、彼女の力が役に立つのであれば、その身を人柱として捧げてもらってでもその力を使ってもらうしかないように観客を含めたあらゆる「大人」には思われたことだろう。奇縁により帆高をアルバイトとして雇用している編集プロダクション経営の男、須賀がある種、自虐的にそういったように「人柱一人で狂った天気が元に戻るんなら、俺は歓迎だけどね。ていうか皆そうだろ」なのである。そしてそのとき、まだ大人ではない少年には「セカイをとるか少女をとるか」という一つの問いが投げかけられる。

この問いこそが所謂「セカイ系」と呼ばれる作品の特徴の一つであり、この作品が「セカイ系」の図式の中にマッピングされる理由なのだろうと思う。なるほど確かにこのセカイをとるかそれとも好きな女子をとるかという問いはぼくたちが作品を通してゼロ年代に散々投げかけらた問いにぴったりと一致するし、その回答として、主人公がセカイよりも女の子を選ぶこともまた、ずっとみてきた光景だ。その意味で確かに「天気の子」は「セカイ系」の特徴を持った作品であると言うことも可能だろう。

 

だが、単純にこの作品をセカイ系の図式に位置づけてノスタルジックな気持ちに浸る前に思い出してもらいたい。存在が消失し、雲の上のセカイに行ってしまった陽菜を救うシーンで帆高が何といったのかということを。彼は陽菜に「晴れ女なんてもうやらなくていい」とそういったのである。どういうことだろうか。

「100%の晴れ女」である陽菜が求めていたのは、晴天ではなく一人前の人間、つまり「大人」としての承認だったのかもしれない。そして多くの場合、人は家族や、会社または学校などの帰属先にそれを求める。まだ親の庇護下にあるべき年齢でありながらおそらくは学校にもまともにいけずに、問題が生じればすぐに換えのきくフリーターのように働いていた陽菜にはそれが希薄だったのだろう。だからこそ、「100%の晴れ女」というかけがいのない自分にしかできない仕事につくことで、換言すれば社会の中に位置づけられることで、彼女は「やりがい」を得ていったのだ。彼女はそのためなら自らの身を犠牲にすることさえ受け入れることができた。それこそが彼女に求められた役割だったのだから。

しかし、帆高はそんな彼女に対して、その役割を放棄して良いと告げた。その上で戻ってきて欲しいと告げた。ここで帆高はまぎれもなく「純粋な形での生の肯定」を試みている。

だが、敢えて無粋なことを言えば、人は生きていれば必ず何らかの役割にしばられるようになるということも事実だ。大切なものの順序を固定していくことこそが大人になるということなのだから。それは人気作品を過去作品との類似によってある大きな枠組みに押し込めていくダイナミズムに似ている。作品の中で陽菜の身体が消えていったのと同じように個々の特性が「消失」し、人や作品は大きな枠組みの中に呑み込まれていく。

「ぼくたちは、大丈夫だ」は本当か

2016年に神奈川県相模原市で起きた大量殺人事件は、被害者が全員重度の障害者であったこともあり、それをお茶の間でみていたぼくたちに少なからぬ衝撃を与えた。被疑者である「彼」の口から語られる典型的な優生思想は、それをきく人々の心をざわつかせた。それでは、ぼくは、あなたは、あるいはぼくたちの周りにいる人々は、生産性の高い価値のある人間であると言えるだろうか。

いやそもそも社会における生産性と「人間の価値」に関係などないのだ、と本当はそういいたい。だが、子供の頃から受験や就活などの競争を強いられるぼくたちにはこのリベラルな提言を純粋に受け入れるのは難しいかもしれない。インテリの言う耳障りのいい言葉をいくら聞いたところで、ぼくたちは結局、社会の中の枠組みに位置づけられることでしか生きていくことを許されないのだ。

では、フィクションの中ではどうだろうか。「天気の子」において、帆高が陽菜に対して行った「純粋な形での生の肯定」は、果たして成功することができたのだろうか。帆高は陽菜を助けることで、人知れず世界よりも陽菜のことを優先し、「100%の晴れ女」ではない彼女の存在を守った。だが、結果としてそのために、彼女の人柱によって晴天を取り戻していたはずの世界は瞬く間にして再びの豪雨に襲われてしまった。このラストシーンには賛否があるが、賛否があることそれ自体がまさに示しているように、帆高は他の誰でもない自分の選択でもって彼女を選んだのだ。それはフィクションだからこそできた世界に縛られない自由な選択で、そのような選択ができた彼らはこれからもこの狂った世界に負けることなく「ぼくたちは、大丈夫だ」と言える、本当にそうか。

実はこの試みが完全に成功したかどうかは判然としない。ぼくがそう思うのは、事件から数年後、高校を卒業して東京に戻った帆高と再会した須賀が慰めるように彼に告げたようにこの世界は元々狂っているからである。そして、あまりに強敵だからである。確かに、帆高は、「世界よりも陽菜」を選ぶことで世界の有り様を大きくかえた、かのように見える。しかし、それはもとから狂っていたこの世界にとってはあくまで「元に戻った」にすぎないのかもしれない。世界は元々狂っており、巫女の犠牲によって誤魔化していたにすぎないのだから。

そんな世界に生きる帆高と陽菜はおそらくこれから先、成長していく中で好むと好まざるとに関わらず、より一層、何らかの役割に縛られていくことになるだろう。そして世界は、彼らの意志とは全く無関係に変動する。決して個人の思うままにはできない天気のように。

須賀の言葉を振り返りつつ、坂の上で陽菜を見かけた帆高の「いや、あの時、ぼくたちは間違いなく世界の形を変えたんだ」というモノローグは力強いが、実のところ、これから先、そうした大人になっていく帆高の最後の抵抗になってしまうかもしれない。
帆高には、いや今のぼくたちには、もう世界を変えることなんてできないのかもしれないのだから。

ラストシーンでの陽菜の祈りは自己犠牲を伴うものではないだろう。陽菜は自分のために、あるいは自分と大切な人が住む世界のために、「何か」を祈っているはずだ。しかし、自己を消失させるという転倒に陥ることなく自己の願いを成就させようとする陽菜にやはり世界は冷たい。祈るように手を組み合わせる陽菜には最早、人智を超えた力などない。*3世界ではなく自分のために祈るようになった陽菜が、次に世界を変えるほどの力*4を持つのは、あのラストシーンで帆高に再会した直後かもしれないが、あるいは1年後かもしれないし、あるいは10年後、もっと先かもしれない。いやそれどころか、陽菜はやがて祈り続けることに疲弊し、心が折れて祈ることをやめてしまうかもしれない。そしてかつて「100%の晴れ女」であった彼女はまた別の形で大きな枠組みの中に組み込まれていく、のかもしれない。

そしてそれは作品も同じだ。「天気の子」はきっと、まだ世界を変えることなんてできない。この作品は、これから先、使い古された文脈で、聞き飽きた言葉で、解釈され続けてしまうのかもしれない。そうした大きな枠組みで個を押し込めることこそ、陽菜を救うシ―ンで帆高が反発した価値観であったのにも関わらずにである。

個人を分類するのは悪いことではない。

作品を分類するのは悪いことではない。

それらはどちらも必要なことでもあるからだ。
それでも、と思う。この狂った世界で100%ではない少女が祈り続けるように、その祈る心が折れないように、この作品そのものが消えないように、ぼくは言い続けるだろう。セカイ系という言葉が嫌いだという一言を。*5  

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くどいほどに繰り返される「セカイ」

*1:元々が定義の怪しい言葉ではあるが。

*2:彼自身はそのことを否定しているかもしれない。しかし、もしそうだとしたら「意識してないのに大勢の人間にそう解釈される作品をつくってしまった」こと自体がこの言葉の力を表してはいないだろうか。

*3:勿論、帆高との再会こそが彼女の祈りによるものという解釈もできる。だが、それでもやはりそのことはこの先もずっと「大丈夫」であることを保証するものではない。

*4:それは必ずしも「人智を超えた力」ではない。

*5:ただしゼロ年代の作品を郷愁を込めてセカイ系と呼ぶ人のことは嫌いではない。実際のところ、ぼくはかつてセカイ系と呼ばれてきた作品達にかなり強い思い入れを持っている。そうでなければ、この記事が7000字以上に及ぶことはなかっただろう。